江戸初期の名医・永田徳本先生が晩年を迎えた岡谷市。健康にまつわる多くの伝承が今に語り継がれている。その伝承を紡ぎだし、シンボルとして徳本さまに注目して、岡谷から新たな健康産業を展開する。
江戸初期の名医・永田徳本先生が晩年を迎えた岡谷市。健康にまつわる多くの伝承が今に語り継がれている。その伝承を紡ぎだし、シンボルとして徳本さまに注目して、岡谷から新たな健康産業を展開する。
伝承を地域資源へ昇華し、健康産業を創造
江戸時代初期、徳川将軍家の御典医であった医聖「永田徳本」先生が終焉の地とした信州・岡谷市。伝承では118歳の天寿(寛永7年1630年2月14日)を全うされたといわれている。本プロジェクトでは、この史実と民間伝承を地域資源として昇華させ、地域の健康に関する総合的な象徴として確立させることを目的とし、徳本先生が余生(よすが)を過ごされた岡谷から新たな健康産業を創造するための調査研究事業として位置付け、次の5項目に着目して調査を進めた。
(1)永田徳本:伝承の整理、シンボル化の研究等(傷寒論医学等の著名人、薬草の大家)
(2)民衆信仰:伝承の整理、シンボル化の研究等
(3)薬草関連:先達による薬草栽培・研究の史実の検証と伝承の整理、薬草園や薬草書物
(4)医療関連機器等製造事業者:関連する医療機器製品の開発研究等(超精密加工の集積地)
(5)ヘルスツーリズム型の健康産業の確立、他の健康に関連する地域資源の掘り起こしと連携および活用
「世のため人のため」に生きた逸話を紹介
混迷の戦国時代を「世のため人のため」に生きたとされる、永田徳本先生の次の史実・逸話を広く市民に伝えることで、「岡谷のシンボル」としての認知を高める工夫を行った。
(1)「一服18文」と書いた薬袋を首にかけたまま牛で診察に出掛け、貧者には無料で薬を与えた。
(2)1625年に将軍秀忠が大病に伏せた際、ふすま越しの猫の脈を見破り、多くの名医が治せなかった病を、一服18文の薬代でたちまち全快させた。
(3)山野をめぐり薬草を研究していたため、植物学にも精通。ぶどうの接ぎ木や挿し木、棚づくりの方法を発明して村人に教え、今日の甲州ぶどうの隆盛に繋げた。
(4)友人林信時の子、林羅山を弟子としていたが、若き日の羅山に非凡なる素質を見い出し、他の職に進むように勧めた。
薬草を通じて子供たちの食育を提案
次の4点を軸として継続し、この健康産業を発展・展開させていく。
(1)人材育成:徳本先生の人間性を大切にし、薬草知識の底辺の拡大・養成を目指す。薬草を通して元気な子供たちの食育を提案する。
(2)薬草の厳選:付加価値が高く、「徳本薬草のまち」にふさわしい薬草を厳選。
(3)精密産業との連携:精密加工業と連携し、卓上型の製造ユニットを中核に事業を推進。
(4)ヘルスツーリズム:健康管理維持増進を目指した、生薬予防医療型健康産業を目指す。
活用した地域資源
医聖・永田徳本先生、薬草
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岡谷商工会議所
〒394-0021長野県岡谷市郷田1-4-11
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