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港に面した古い家では、正面に屋号を見ることができる。これらの家は昭和の初め、水揚げされた魚を仲買人に売りさばき、同時に次の航海のための燃料や船具、食料を調達した店である。 |
しばしば「カザマチ」という言葉を耳にしたのが、心に残った。「風待ち」と書くらしい。昔、交易の帆船が出港に適した北西の風を待ったことから、この言葉は生まれたそうだ。「風待ちの港」と言う人もいたが、港に近い一角を指して呼ぶ人もいた。だから勝手な解釈ではあるけれど、「カザマチ」の「マチ」は「町」でもあるのかもしれないと思ったものだ。
北西の風を土地の人は「ナライの風」と呼ぶ。これが災いしたことが、過去に二度あった。気仙沼は大正4年(1915)と昭和4年(1929)に、二度にわたって大火に見舞われたのである。しかし、人々は競って豪奢で意匠をこらした家を建てたというのだから、いかに海からの幸によって町が潤っていたのかが分かる。
昭和4年以降に建てられた商店・民家を、現在も内湾を臨む魚町や、八日町から南町にかけての一帯で見ることができる。
木筋コンクリート造りの3階建て、銅板を葺いた切妻造り、桟瓦葺きの土蔵などが軒を連ね、美しい通りを形づくっていた。こうした古い建物が商店であったなら、決まって屋号が正面に刻まれているのだった。ああ、なんて昔の建物には風情があることか! そう思って、何度も立ち止まったものである。
町の歴史が知りたくなって本屋に立ち寄ると、「まるかじり気仙沼ガイドブック」という本を見つけた。歴史についての記述だけでなく、海の幸、山の幸にも詳しい一冊だった。気仙沼商工会議所の企画で生まれた本であった。
リアス・アーク美術館は、手書きの絵で展示品や時代背景を説明しているから楽しく観ることができる。たくさんのパネルを制作した山内さんは、今回のプロジェクトの成果である「まるかじり気仙沼ガイドブック」(気仙沼商工会議所のホームページで予約可)の制作者の1人。「豊かな土地に生まれたことを誇りに」と、次世代に語る。 |